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こんにちは。 あまちゃん先生です。
”慶應義塾大学看護医療学部(小論文)|2016年の解説と解き方”についてお伝えします。
①ざっくり言うとこんな問題です。
宇沢弘文著『経済学と人間の心』からの抜粋による慶應義塾創設者 福沢諭吉関連の問題。
本文の下線部「物事の本質を見抜く観察の目」とはどのような事か。本文の内容を参考に100字以内で説明する問題。
そして
本文の下線部「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」とはどのような事か。本文の内容を参考に説明し、それに対するあなたの考えを加えて600字以内で論じる問題です。
・課題文の読解力・論点整理力
・課題文に対しての背景知識・発想力が必須となります。
(福沢諭吉に関する知識があると読み解きやすくなります。)
あまちゃん先生。
②設問1の解説
《ざっくり言うとこういう問題》
課題文の内容より、
「物事の本質を見抜く観察の目」とはどのような事かについて100字以内で説明するもの。
まずは模範解答です。
《問題の解き方》
①お題に対する回答根拠を課題文の中から拾い出す。
②拾い出した根拠から考えられることを発想し、指定された文字数に合わせて整理する。
この2点を守るだけでクリアです。
では具体的にどう解いていくかというと、
「物事の本質を見抜く観察の目」について述べられている箇所より、
・私はこのエントリーを読んで、諭吉のするどい、物事の本質を見抜く観察の目に改めてつよく印象づけられたことを記憶している。
と書かれています。
あとは国語の現代文を解くときと同じように、
・このエントリーの“この”(指示語)が何を示しているか?
(=諭吉が横浜の外国人居留地に行って、生まれて初めて麦酒を飲んだ時、ビールを飲みながら活発に議論している外国人を見、ビールとは極めて「社交的な飲み物だ」。)
(=日本酒は一人さびしく飲むものである。)
と紹介されているエピソードである。
(このエピソードを参考に考えると)
物事の本質を見抜く観察の目とは、
物事を俯瞰的(ふかんてき)に捉える目
であると考えられ、これを先ほどのエピソードをまとめたものと合わせれば100字の答案の完成です。
あまちゃん先生。
ちなみにですが、
この横浜の外国人居留地に行った際、福沢諭吉はその後の人生を大きく変える出来事に出会います。
それは、そこで目にする言葉や飛び交う会話が諭吉がそれまでに学んでいたオランダ語ではなく新しく見る言葉、英語であったということです。
福沢諭吉(当時:25歳)は出身の中津藩の命令により江戸に来ておりました。時期としてその4年ほど前に再来航したペリーと江戸幕府が日米和親条約を結んだ時です。それ以来外国文書の翻訳や検閲役が必要となり、多くの蘭学者が江戸に必要となりました。その流れで大阪の適塾で22歳という歴代最年少で塾長にまで上り詰めたほどのオランダ語の実力のあった福沢諭吉に中津藩からの声が掛かったのです。
藩からの命令で江戸に着いた諭吉は、知り合いの蘭学者に会いに行き、自身の蘭学のレベルを確かめ、今の実力で江戸でやっていけると思っていました。
この横浜居留地での出来事はその自信に満ち溢れていた諭吉に起きたショックな出来事だったのです。
当時の言葉ではこう綴っています。
(横浜に見物に行った際に出会う外国人に話しかけても)
ちょいともことばが通じない。
此方(こちら)の言うこともわからなければ、彼方(あっち)の言うことももちろんわからない。
店の看板も読めなければビンのはり紙もわからぬ。
何をみてもわたしの知っている文字というものはない。
英語だが仏語だかいっこうわからない。
横浜から帰って、わたしは足の疲れではない、実に落胆してしまった。
これはこれはどうもしかたがない。
いままで数年の間死に物狂いになって、オランダの書を読むことを勉強したその勉強したものが、いまはなんにもならない、
商売人の看板を見てもよむことができない、さりとはまことにつまらぬことをしたわいと、実に落胆してしまった。
(『福翁自伝』)
これまで必死にやってきたことが全く役に立たないと知った諭吉はこのように落胆していました。
普通ならここで人生を諦めたくなるところです。
しかし、諭吉はこの状況を素直に捉え、英語をその後に必要な言語と捉え、英語を勉強しようとすぐに行動に示したのです。
その時の様子を上で紹介した『福翁自伝』ではこう述べられています。
けれども決して落胆していられる場合でない。
あすこに行われている言葉、書いてある文字は、英語か仏語に相違ない。
ところでいま世界に英語の普通に行われているということは、かねて知っている。
なんでもあれは英語に違いない。
いまわが国は条約を結んで開けかかっている。
さすればこの後は英語が必要になるに違いない。
洋学者として英語を知らなければ、とても何にも通ずることができない。
この後は英語が読むよりほかにしかたがないと、横浜から帰った翌日だ、一度は落胆したが同時にまた新たに志を発して、それから以来はいっさい万事英語と覚悟をきめた。
あまちゃん先生。
③設問2の解説
《ざっくり言うとこういう問題》
「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」とはどのような事か。本文の内容を参考に説明し、それに対するあなたの考えを加えて600字以内で論じるもの。
”本文の内容を参考に説明し、それに対するあなたの考えを加えて”というのが条件の問題です。
本文では「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」をどう述べているかを整理して解きましょう。
まずは模範解答です。
福澤諭吉のもっていたリベラリズムの思想とは、アメリカに向かう咸臨丸の中での厳しい階級性の下で起きた水夫たちの不遇な扱いに対して、身分が上である正使木村摂津守に抗議したこと、またその後その劣悪な環境が原因で亡くなった若い水夫のお墓を着いたサンフランシスコで設計し、その完成を見届けてから、使節団の一行の後を追った諭吉の言動にある。それは同じヒトとしてどうかということに対する強い訴えである。
私は諭吉のこの人権尊重の思想に対して賛成である。それは医療の現場に立つものとして人権の尊重は当たり前の思想であり、それを踏まえた上での医療技術の発展が今そしてこれからの医療現場において大事な姿勢と考えられるからである。医療現場で出会う患者の肌の色や宗教観などの信条が自分と違ったとしても、同じ患者として接することが医療現場に立つものとして当然の職業倫理である。また難病解決への医療技術の進展においては日本人だけでなく世界中の医療スタッフとの連携が必要である。その時には同じヒトとして技術を進歩していく姿勢が必要である。
福沢諭吉のリベラリズムの思想とは人権尊重の思想である。また私は諭吉の咸臨丸での言動には勇敢さを感じる。それは身分が上のものに抗議すれば使用人をやめさせられるどころか最悪死罪を言い渡されることも当時の日本社会においては考えられるからである。
《問題の解き方》
まずは課題文に紹介されている「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」を象徴する有名なエピソード内容を整理してみると
、
【咸臨丸の出来事の中で】
・諭吉は咸臨丸のなかの階級制のきびしさに驚き、かつ憤慨する。
・(親しくなった二人の最下級の若い水夫)の食事があまりにもまずしく、その居住条件があまりにも悪いことを知って、同情するとともに、大いに憤激する。
・このことで正使木村摂津守と大喧嘩して、馘首(かくしゅ)になりそうになった。
【咸臨丸がサンフランシスコに着いたとき】
・亡くなった若い水夫のお墓を設計し、その完成を見届けてから、使節の一行の後を追った。
以上のようにざっくりとではありますが、「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」についてのエピソード内容を整理することが出来ます。
模範解答では、この整理した内容より「福沢諭吉のもっていたリベラリズムの思想」について
同じヒトとして扱っていないところへの強い訴え。人権尊重。
と捉え、あとはこの人権尊重の考えに対して“賛成”の意見を述べてみました。
(ここを、「平等」と捉えてももちろんOKです。)
看護医療学部に入学するものとして、人権尊重反対の意見を述べるのは評価されにくいものになりますので、ここは賛成意見で書き上げましょう。
あまちゃん先生。
まとめ
あまちゃん先生。